滋賀県の県庁所在地は大津市!滋賀市不在の謎と京都隣接の真相に迫る
小学校や中学校の地理の授業で、多くの人が一度は頭を悩ませるのが「都道府県名と県庁所在地が異なる県」の暗記です。その代表格として必ず名前が挙がるのが滋賀県。県名を冠した「滋賀市」が存在せず、琵琶湖の南西端に位置する大津市に県庁が置かれている事実に、素朴な疑問を抱いた経験を持つ人は少なくありません。
地図を俯瞰すると、滋賀県庁が置かれた大津市は京都府と目と鼻の先にあり、広大な琵琶湖を抱える滋賀県全体の地理的重心からは大きく南西に偏っています。「なぜ中央部や経済的成長が著しい草津市、あるいは城下町として栄えた彦根市ではないのか」「そもそもなぜ滋賀市がないのか」。そこには、単なる偶然ではなく、明治維新期の廃藩置県を巡る激動の統廃合ドラマと、古代から続く国家的な交通戦略が深く刻まれていました。現場取材と歴史的公文書の記録から、その決定的な真相を紐解きます。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:滋賀県の県庁所在地は大津市。県名の由来は当時の県庁所在地だった「滋賀郡大津」であり、最初から「滋賀」という単独の市が存在した歴史はない。
- 要点2:明治初期の廃藩置県では北部の「犬上県(県庁:彦根)」と南部の「滋賀県(県庁:大津)」に分かれていたが、旧幕府色の強い彦根を避け、交通の要衝かつ天領だった大津に統合された。
- 要点3:飛鳥時代の「大津宮」以来、水陸交通の結節点として機能してきた大津は、現在も京都・大阪への圧倒的なアクセス性と行政中枢の役割を両立させている。
なぜ大津市なのか?廃藩置県の激動と「滋賀市が存在しない理由」
滋賀県の県都を巡る最大の謎である「なぜ滋賀市が存在しないのか」という問いに対する歴史的な答えは極めて明快です。それは、「滋賀郡大津町」に県庁が置かれたからに他なりません。
時計の針を明治維新の混乱期に戻します。1871年(明治4年)の廃藩置県直後、近江国(現在の滋賀県)には膳所県や彦根県など多数の小さな県が乱立していました。同年末の第1次府県統合により、琵琶湖の南部を管轄する「大津県」と、北部を管轄する「長浜県(のちに彦根へ移転し犬上県へ改称)」の2つに集約されます。
翌1872年(明治5年)、大津県は県庁の所在地であった「滋賀郡大津」の郡名を取り、名称を「滋賀県」へと改めました。当時はまだ市制が施行されておらず(市制・町村制の公布は1888年)、都市としての名称は「大津町」でした。つまり、地域一帯を指す広域名称だった「滋賀郡」が県名に採用され、中心集落であった「大津」がのちに市制を敷いて大津市となったため、歴史のどの段階を切り取っても「滋賀市」という自治体が誕生する余地はありませんでした。
さらに同年1872年9月、南部の滋賀県と北部の犬上県が統合され、現在の滋賀県全域をカバーする単一の県が誕生します。この際、統合された新県庁をどこに置くかが大きな分岐点となりました。
当時、犬上県の中心だった彦根市は、譜代大名筆頭として幕政を主導した井伊家の城下町であり、人口や都市規模の面でも屈指の存在感を誇っていました。しかし、明治新政府は旧幕府勢力の影響力が色濃く残る彦根城下を避け、江戸時代を通じて幕府直轄地(天領)代官所が置かれ、新政府への恭順が早かった大津を統合県庁の所在地として選定したのです。旧勢力の払拭という政治的意図と、行政実務の円滑化という現実的判断が合致した結果でした。
地理的偏りの謎|なぜ琵琶湖の南西端・京都の隣に県庁があるのか?
滋賀県の白地図を広げたとき、誰もが抱く違和感が「県庁の位置が南西の端に寄りすぎている」という点です。県庁所在地である大津市京町から京都府境までは直線距離でわずか数キロメートル。JR東海道本線(琵琶湖線)の新快速を利用すれば、大津駅から京都駅まではわずか2駅・約9分で到達します。
湖北の長浜市や湖東の彦根市から見れば、県庁へ赴くことは「ほぼ京都へ行く」感覚に近い距離感です。なぜこのような地理的配置が認められたのでしょうか。その背景には、古代から綿々と受け継がれてきた交通インフラの絶対的優位性が存在します。
遡ること飛鳥時代、667年に中大兄皇子(天智天皇)は都を奈良からこの地へ遷都し、近江大津宮を構えました。白村江の戦いを経て国防の危機感が高まる中、日本海側から侵入する外敵に備えつつ、東国への連絡路を確保し、かつ琵琶湖の水運を最大限に活用できる軍事・交通の防衛拠点として選ばれたのが大津の地でした。
江戸時代に入ってもその戦略的価値は揺らぎませんでした。東海道五十三次の最後の宿場町である「大津宿」は、東海道と中山道が合流する草津宿を経て、京都三条大橋へ至る直前の最重要拠点でした。また、北陸や東北からの物資を運ぶ「北前船」の荷は、敦賀から陸送されて琵琶湖の舟運に載せられ、大津百町と呼ばれた港湾都市・大津に集積されて京都・大坂へと運ばれました。
近代に入り鉄道網が敷設された際も、東海道本線が大津を経由して京都へ抜けるルートをとったのは自然の成り行きでした。中央に巨大な水瓶(琵琶湖)を抱える滋賀県において、県内全域の水運が集まり、かつ日本の大動脈である東海道に直結する場所は大津市以外に存在し得なかったのです。
【データで徹底比較】大津市 vs 草津市 vs 彦根市|滋賀県主要都市の現在地
現代の滋賀県においては、県庁所在地の大津市だけでなく、新幹線停車駅を抱える米原市、城下町として観光・産業の軸となる彦根市、そして急速な発展を遂げる草津市がそれぞれ異なる役割を担っています。主要3都市のリアルな力関係を客観的指標から比較検証します。
| 都市名 | 推計人口と傾向 | 京都駅へのアクセス(JR新快速) | 都市の性格・編集部の見解 |
|---|---|---|---|
| 大津市 (県庁所在地) | 約34.2万人 (県内1位・微減傾向) | 約9分 (最速アクセス) | 県庁・裁判所・赤十字病院など公的中枢が集積。南部は京都の完全なベッドタウンとして機能する一方、南北に細長く比良山麓まで含む広大な市域を持つ。 |
| 草津市 (副拠点都市) | 約14.5万人 (人口増加率トップクラス) | 約21分 | 立命館大学びわこ・くさつキャンパス(BKC)を擁し若年層比率が高い。商業集積度は大津駅前を凌駕し、実質的な滋賀県の経済エンジンとして君臨。 |
| 彦根市 (旧犬上県中心) | 約11.0万人 (減少傾向) | 約50分 | 国宝彦根城を中心とする歴史観光都市であり、湖東地域の工業集積拠点。かつて大津と県庁を争った歴史的プライドと独自の文化圏を色濃く残す。 |
データが示す通り、人口規模および公的機能の集約度合いにおいては現在も大津市が単独首位を保っています。しかし、商業活力や民間マネーの動きを見ると、草津駅周辺がタワーマンションや大型商業施設の集積によって圧倒的な存在感を放っており、地元財界関係者の間では「行政の大津、経済の草津」という住み分けが定着しています。

テスト頻出!「滋賀県庁所在地覚え方」と県名不一致の法則
地理試験における定番難所である「県名と県庁所在地が異なる県」。全国47都道府県のうち、北海道(札幌市)や神奈川県(横浜市)、愛知県(名古屋市)などを含め19の都道県が存在しますが、滋賀県はその中でも特に内陸部・近畿ブロックの頻出トラップとしてマークされます。
暗記を確実にするためのアプローチとして、受験現場で効果を上げている代表的な暗記法と、背景ロジックによるアプローチを紹介します。
1. イメージ連結法(語呂合わせ)
最も直感的に覚える方法は、文字通りの情景描写を頭に焼き付ける手法です。
- 「滋賀の(シカが)大きな港(大津)で船に乗る」:滋賀(シカ)と琵琶湖の玄関口「大きな津(港=大津)」をダイレクトに結びつけます。
- 「大きな(大)津波(津)にビワ(琵琶湖=滋賀)がプカプカ浮く」:文字のインパクトで視覚的に想起させる手法です。
2. 漢字の意味分解アプローチ(論理的理解)
丸暗記が苦手な人には、語源の理解による記憶定着が適しています。「津」という漢字は、古語で「港」「船着き場」を意味します(津市、焼津市、直江津などと同様)。すなわち「大津」とは「大きな港」を意味する普通名詞が固有名詞化したものです。
琵琶湖という日本最大の湖を抱え、水上物流の中枢港として栄えた場所だからこそ「大きな津=大津」と呼ばれたという歴史的文脈を理解すれば、テスト本番で迷うリスクをゼロに抑えられます。
滋賀県庁アクセスと現地取材で見えたリアルな街の素顔
大津市京町四丁目に佇む滋賀県庁の本館は、近代建築ファン垂涎の荘厳な威容を誇っています。1939年(昭和14年)に竣工したこの建物は、昭和初期の官庁建築特有の重厚なスクラッチタイルと、屋上にそびえる和風の塔屋(帝冠様式)が調和した登録有形文化財です。内部には木製の手すりやステンドグラス風の明かり窓が随所に残り、長い歴史の重みを無言で物語っています。
【滋賀県庁アクセス情報】
- JR利用:JR東海道本線(琵琶湖線)「大津駅」下車、北口(琵琶湖口)から中央通りを直進し徒歩約5分。
- 京阪電車利用:京阪石山坂本線「島ノ関駅」下車、徒歩約8分。または京津線「びわ湖浜大津駅」下車、徒歩約15分。
- 自動車:名神高速道路「大津IC」より約7分(県庁来庁者用駐車場あり)。
大津駅の改札を出ると、目前に広がるのは官公庁街特有の落ち着いた街並みです。県庁、県警本部、大津市役所(市役所は皇子山地区)、裁判所などが集約されている一方、いわゆる大都市の県庁前のような華やかな商業ビル街は控えめです。
現地で耳にする市民の生の声には、大津特有の二面性が垣間見えます。大津駅周辺に暮らす30代の会社員は取材に対し、「買い物や外食は電車で10分の京都(烏丸・河原町)へ出るのが日常。休日は滋賀にいるというより、ほぼ京都文化圏で暮らしている感覚がある」と明かします。いわゆる京都へのストロー現象が日常化している反面、琵琶湖岸に出れば「なぎさ公園」やびわ湖テラスなど、京都にはない圧倒的な水辺の開放感と自然環境が広がっています。
大津は京都の衛星都市としての利便性を享受しつつ、行政機能と歴史遺産をしっかりと守り抜いている特異な県都と言えます。
【プロの結論】都市社会学の視点から見る県庁所在地のあり方と判断基準
地域政策や都市社会学の観点から大津市を分析すると、日本列島が人口減少局面に突入した今、大津市のポジションは極めて堅固です。一極集中型の都市設計ではなく、京都・大阪という大都市圏の活力を取り込みつつ、滋賀県内の行政リーダーシップを維持する「回廊型中枢都市」として機能しているからです。
移住や生活拠点を検討する際、滋賀県内の各都市は以下のような明確な判断基準で選択されるべきです。
- 大津市を選ぶべき人: 京都・大阪への通勤通学が前提でありながら、休日は琵琶湖や比叡山の自然に囲まれた静穏な住環境を求め、行政サービスや高度医療機関への近接性を重視する世帯。
- 草津市・守山市を選ぶべき人: 駅近の商業利便性、子育て世代の集積、活気ある民間コミュニティを最優先し、最新のマンション開発や教育環境の充実を望む共働き世帯。
- 彦根市・長浜市を選ぶべき人: 地域の歴史的文脈に根ざし、ゆったりとした敷地での暮らしや、湖東・中京圏(名古屋方面)へのアクセスを視野に入れたライフスタイルを望む層。

【滋賀県の県庁所在地】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:滋賀県の県庁所在地は大津市ですが、過去に「滋賀市」が存在したことは一度もないのですか?
A1:一度も存在しません。県名の「滋賀」は、廃藩置県当時に県庁が置かれた「滋賀郡大津町」という郡名に由来しています。市制施行の際、中心集落であった大津町がそのまま「大津市」へと移行したため、歴史上「滋賀市」という自治体が成立した記録はありません。
Q2:滋賀県庁の歴史的建築は一般人でも見学できますか?
A2:可能です。滋賀県庁本館は登録有形文化財に指定されており、開庁日の平日(8:30〜17:15)であれば、県民サロンや歴史展示コーナーなどを自由に見学できます。正面玄関ホールの大理石階段やレトロな装飾は建築ファンの間でも高く評価されています。
Q3:なぜ新幹線が停まる米原市や、城下町だった彦根市に県庁を移転させないのですか?
A3:明治初期の犬上県合併以降、行政機能や公文書、司法・金融インフラが大津市京町周辺に集中して整備されたためです。また、滋賀県民の約半数が大津・草津・甲賀などの県南部に集中している人口構造を考慮しても、多額の公費を投じて県庁を県北へ移転させる経済的・行政的合理性がないためです。
まとめ:歴史が生んだ必然の県都・大津の未来を見据えて
「なぜ滋賀市ではなく大津市なのか」という長年の疑問を紐解くと、そこには古代・天智天皇の大津宮遷都から、江戸時代の東海道水陸結節点、そして明治維新期の旧幕府色払拭と郡名採用に至る、必然の歴史的文脈が存在していました。
琵琶湖の南西端で京都と肩を並べるように佇む大津市は、地理的な中央ではなくとも、日本の大動脈と琵琶湖水運を結ぶ要として機能し続けてきました。隣接する草津市の目覚ましい経済的台頭や、京都圏との深い結びつきを受け入れながら、大津市は滋賀県の公的中枢として独自の価値を築き上げています。テストの暗記用知識にとどまらず、都市の成り立ちに秘められたダイナミズムを実感できることこそ、大津という街の奥深い魅力です。 (出典: 滋賀 県 県庁 所在地(Yahoo!ニュース))