今様とは?平安のヒット曲の正体と梁塵秘抄・七五調の魅力を解剖
平安時代末期、貴族の宮廷から都の辻、地方の宿場町に至るまで、身分の垣根を越えて日本中を席巻した一大音楽ムーブメントが存在しました。それが「今様(いまよう)」です。雅楽や和歌といった格式高い伝統芸能が重んじられていた時代に、突如として人々の心を掴んだこの歌謡は、現代でいえばチャートを独占する国民的ポップスやストリートカルチャーに相当します。
時の最高権力者であった後白河法皇が寝食を忘れて熱狂し、喉を痛めながらも歌い続けたという逸話は、今様が持つ圧倒的な熱量を物語っています。本稿では、文献や音楽史の一次史料を紐解きながら、今様の語源や特徴、『梁塵秘抄』との深い関わり、そして現代へと続く音楽的系譜を詳しく解き明かします。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:今様は「当世風(現代風)」を意味する平安中期の流行歌であり、遊女や傀儡女ら女性芸能者が広めた民衆発の音楽である。
- 要点2:七五調四句を基本構造とし、後白河法皇が編纂した『梁塵秘抄』によってその詞章と熱狂の記録が現代に残された。
- 要点3:「越天楽今様」や民謡「黒田節」のルーツとなり、現代でも神事舞踊や伝統芸能としてその息吹が受け継がれている。
【今様歌をわかりやすく】「当世風」を意味する平安時代の国民的ポップス
「今様(いまよう)」という言葉の成り立ちは、文字通り「今風の様式」「当世風(現代風)」を意味します。平安時代中期、従来の古風な歌(古様・神楽歌など)に対して、「いま流行している新しい歌」という意味合いを込めて名付けられた音楽ジャンルです。
この語が確かな文献上に初めて登場するのは、紫式部が著した『紫式部日記』の寛弘5年(1008年)8月条です。また、同時代の随筆である清少納言の『枕草子』にも今様についての記述が見られ、すでに11世紀初頭の宮廷社会において広く認知されていたことが確認できます。
今様の音楽的な最大の担い手となったのは、貴族ではなく、各地の宿場町や水運の要所を行き交った傀儡女(くぐつめ)や遊女(あそびめ)、白拍子(しらびょうし)といった女性芸能者たちでした。彼女たちが歌い踊るエネルギッシュな節回しが、やがて公家や皇族といった支配階級をも巻き込み、社会全体を揺るがす大流行へと発展していきました。
平安貴族を熱狂させた芸能史|催馬楽・朗詠・和歌との決定的差異
当時の宮廷音楽としては、雅楽の調べに乗せて歌う「催馬楽(さいばら)」や、漢詩に節をつける「朗詠(ろうえい)」、そして三十一文字の「和歌」がすでに確固たる地位を築いていました。その中にあって、なぜ今様だけが爆発的な熱狂を生み出したのか、その違いを整理したものが以下の比較表です。
| 種目 | 主な担い手・発祥 | 形式・リズム | 歌詞の題材・特徴 |
|---|---|---|---|
| 今様(いまよう) | 傀儡女・遊女・白拍子・庶民・貴族 | 七五調×4句(基本形式)/メリスマ的で長い節回し | 庶民の哀歓、仏教信仰(法文歌)、日常の情景など多彩 |
| 催馬楽(さいばら) | 宮廷貴族(民謡を雅楽風に編曲) | 句数不定・雅楽伴奏を伴う緩やかなテンポ | 地方の素朴な民謡、風俗、農村の日常 |
| 朗詠(ろうえい) | 宮廷貴族・文人官僚 | 漢詩の秀句を長音で朗詠する管絃伴奏歌 | 格調高い漢詩文(唐詩・和漢朗詠集の詩句) |
| 和歌(短歌) | 皇族・貴族・知識人階層 | 五・七・五・七・七(31音) | 四季の美、優雅な恋心、美意識・掛詞の技巧 |
催馬楽や和歌が厳格な約束事や洗練された様式美を誇っていたのに対し、今様はストリート発の生々しい感情と、親しみやすいリズムを最大の武器としていました。清少納言が『枕草子』の中で「長うてくせついたり(節を長く引き伸ばし、独特の強い癖がある)」と書き記したように、従来の歌唱法を覆すグルーヴ感こそが、当時の人々を惹きつけてやまなかった要因です。
『梁塵秘抄』と後白河法皇|帝が喉を痛めてまで愛した熱狂の裏側
今様を語る上で欠かせない歴史上の最重要人物が、平安末期の治天の君である後白河法皇(1127〜1192年)です。法皇の今様への傾倒は、単なる趣味の領域をはるかに超えた異常な執念に満ちていました。
法皇自身が執筆した記録手記『梁塵秘抄口伝集』には、少年の頃から五十余年にわたり、昼夜を問わず歌い続けた生活ぶりが赤裸々に綴られています。「声が出なくなるまで歌い続け、喉を痛めて熱を出しても、なお歌うことをやめなかった」「50夜連続で歌い明かした」といった凄まじい告白が残されているほどです。
後白河法皇の情熱は、当時の身分秩序すら突き破りました。美濃国の青墓宿(現在の岐阜県大垣市)にいた高齢の傀儡女・乙前(おとまえ)の卓越した歌唱力を聞きつけると、彼女を都の御所に招き入れ、師匠として礼を尽くして歌の秘伝を授かりました。乙前が没した際、法皇は号泣し、丁重に菩提を弔ったと伝えられています。
こうして法皇が編纂した歌謡集が、かの有名な『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』です。「歌の塵が梁(はり)の木を動かすほどの名唱」という中国の故事に由来するこの書物によって、口承芸能であった今様の歌詞と歌唱法が、奇跡的に現代へと保存されることになりました。

今様歌詞の代表例を徹底解読|「遊びをせんとや」から「越天楽今様」まで
今様の歌詞は、七・五・七・五・七・五・七・五(計4句)を定型とし、仏教の教えを分かりやすく説いた「法文歌(ほうもんのうた)」から、庶民の日常、恋の苦しみ、風刺に至るまで幅広い世界を描いています。その代表的な名作を鑑賞してみましょう。
1. 『梁塵秘抄』巻第二:人間の本質を突く名句
「遊びをせんとや生れけむ 戯れせんとや生れけん 遊ぶ子供の声きけば 我が身さへこそ動がるれ」
(現代語訳:人は遊ぶために生まれてきたのだろうか、戯れるために生を授かったのだろうか。無心に遊ぶ子どもたちの声を聞いていると、私の身体までもが自然と動き出してしまう。)
NHK大河ドラマなどでも象徴的に引用されるこの歌は、子どもたちの無邪気な姿への愛おしさと、大人が抱える人生の哀歓や無常感が絶妙に交錯した、今様文学の最高峰と評されます。
2. ユーモアと庶民感情あふれる風刺歌
「舞へ舞へ蝸牛 舞はぬものならば 馬の子や牛の子に蹴させてん 踏み破らせてん まことに美しく舞うたらば 花の園まで遊ばせん」
(現代語訳:舞え、舞え、カタツムリよ。もし舞わないのなら、馬や牛の子に蹴飛ばさせて殻を踏み割らせてしまおう。本当に見事に舞ったなら、美しい花園で遊ばせてやろう。)
童歌のような無邪気な残酷さとユーモアが同居しており、庶民や芸能民の生の言葉がそのままリズムに乗っていることが伝わります。
3. 近世へと受け継がれた「越天楽今様」と「黒田節」
平安時代以降、雅楽の名曲である「越天楽(えてんらく)」の旋律に今様の七五調の歌詞を当てはめて歌う「越天楽今様」が誕生しました。江戸時代には、この越天楽今様の旋律が福岡藩の武士たちに歌い継がれ、「酒は呑め呑め 呑むならば〜」で知られる名高い民謡「黒田節」へと姿を変えて定着しました。平安の流行歌は、形を変えながら近世・近代の音楽史へと脈々と息づいています。
一般に知られていない盲点とネットの誤解|「今様=七五調」論争と「今様色」の正体
インターネット上の解説や一般的な辞書では「今様=七五調四句の歌」と短絡的に説明されることが多々あります。しかし、近代国文学の歴史を検証すると、そこには興味深い学術論争が存在しています。
「今様は七五調にあらず」論争の真相
今様を「七五調四句」の厳密な定型詩として体系付けたのは、明治時代の国文学者・落合直文が著した『新撰歌典』(1891年)でした。明治の新体詩人たちがこの七五調形式を「今様形式」として定着させたため、現代の教科書的な認識が形成されました。
これに対し、国文学者の高木市之助は論文「今様は七五調にあらず」(『國語と國文學』1932年)において、古い一次資料に見られる今様は音数が極めて変則的であり、音楽的なリズムの伸縮(メリスマ)によって歌われていた実態を指摘しました。つまり、今様の本質は「四角四面の詩の文字数」ではなく、「感情を自在に乗せて歌い崩す音楽的グルーヴ」にあったのです。
平安のトレンドカラー「今様色(いまよういろ)」とは?
「今様」という言葉は、音楽だけでなく色彩の分野にも用いられました。平安時代中期に生まれた「今様色(いまよういろ)」とは、当時大流行した「紅梅色(やや紫がかった華やかな濃いピンク色)」を指します。
『源氏物語』などの王朝文学でも、洗練された流行の装束の色として描かれており、「当世の最先端トレンド」を指すバズワードとして「今様」がいかに広く消費されていたかが分かります。

【実態検証】歴史から現代へ受け継がれる今様|伝統芸能の息吹と鑑賞法
中世の動乱とともに一度は表舞台から姿を消したかに見えた今様ですが、その命脈は途絶えていません。現在でも京都や各地の社寺において、白拍子装束を身にまとった舞手によって厳かに披露される姿を見ることができます。
一般社団法人「日本今様謌舞楽会」をはじめとする継承団体は、平安時代の所作や雅楽の調べを復元し、春と秋の定期公演や寺社の神事(京都・法住寺の「身代不動尊今様奉納」など)で今様を実演しています。実際に現地で鑑賞した愛好家や研究者の間では、「ゆったりと伸びやかな歌声と、烏帽子に水干姿の舞が織りなす空間は、千年前の都人の祈りと躍動感をリアルに呼び起こす」と高く評価されています。
【プロの結論】音楽社会学から読み解く「流行歌が時代を映す鏡である理由」
今様の歴史的台頭と後白河法皇の熱狂は、文化社会学における「周縁カルチャーが既得権益の美意識を更新するダイナミズム」の典型例といえます。権力構造が固定化し、貴族文化が様式美に閉じこもり衰退していく局面では、常に社会の底流にある民衆芸能の剥き出しの生命力が、体制側の心を揺さぶり新たな文化の主役に躍り出ます。
平安末期の貴族たちが和歌の形式美に息苦しさを感じていたまさにその時、傀儡女たちが歌う今様の自由でエモーショナルな言葉が時代を救いました。今様を学ぶことは、時代を問わず人々の心を真に動かす「生きた音楽の普遍的な力」を再発見することに他なりません。
【今様とは】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:今様と催馬楽の最大の違いは何ですか?
A1:催馬楽は古代の民謡を貴族が雅楽の枠組みに合わせて洗練させた「宮廷音楽」であるのに対し、今様は平安中期から末期に傀儡女や遊女ら民衆芸能者が生み出した「最新のストリートポップス」です。今様は七五調四句を基調とし、感情豊かに歌い上げる自由な節回しが特徴です。
Q2:『梁塵秘抄』は現在でも全編を読むことができますか?
A2:残念ながら全20巻の大部分は失われており、現存しているのは巻第一の断簡、巻第二、および口伝集の巻第一・第十など一部のみです。しかし、これだけでも約560首以上の歌詞が収録されており、当時の人々の信仰や生活感情を知る上で第一級の国宝級史料となっています。
Q3:「越天楽今様」と民謡「黒田節」はどのように関係しているのですか?
A3:平安時代に雅楽の器楽曲「越天楽」の旋律に合わせて今様の七五調の歌詞を歌う「越天楽今様」が作られました。これが江戸時代に武士の間で流行歌となり、筑前福岡藩の母里太兵衛の逸話と結びついて生まれたのが民謡「黒田節」です。メロディの骨格は今も越天楽の旋律を受け継いでいます。
Q4:「今様色」とはどのような色ですか?
A4:平安時代に「いま流行している色」として大人気となった、やや紫を帯びた華やかな濃いピンク色(紅梅色)のことです。当時の貴族女性たちの着物や装束において最先端のトレンドカラーとして愛好されました。
まとめ:時代を超えて響く「今様」の本質と現代的価値
今様とは、単なる教科書の中の古典文学や古楽の一種ではありません。それは、平安の民衆が生きた証であり、身分の壁を超えて人々を繋いだ情熱のポップカルチャーでした。
「当世風」を追い求めた平安人たちの熱い息吹は、『梁塵秘抄』の言葉を通じて、そして現代の伝統芸能や民謡の旋律の中にしっかりと息づいています。千年の時を経ても色褪せない今様の歌詞に触れることで、古の人々が抱いた喜びや哀愁、そして歌に対する純粋な情熱を、ぜひ身近に感じてみてください。 (出典: 今 様 と は(Yahoo!ニュース))